
対談とは“果し合い”なのだ。家庭をブッ壊していもいい覚悟が無ければ、親子同士でやるもんじゃない。どこの家にもあるだろう、お互いに踏み込んではいけない領域が。見ない聞かない言わないことで、かろうじて“家族”は、成り立っているのだ(あれ? うちだけか?)。
「戦後思想界の巨人」とリスペクトされる吉本隆明さんの長女で、漫画家のハルノ宵子さん執筆の『隆明だもの』を取り上げ、コーチングを語っています。収録されている32のエッセイの一つ、「孤独のリング」のなかの一節を引用しました。
コーチングとは「対話」そのものです。この「コーチング大百科」では、ズバリ「対話とは?」についても解説しています。そこでは「対話(≒対談)」と「会話」の違いを明確にして綴っています。
「最も親密な関係性である“家族”にとって、対話は成り立つか?」というのは、コーチングを深く学び、実践していくと「壁」として迫ってくる本質的なテーマであることが自覚されるようになります。同書に収録されている32のエッセイは「軽妙なもの」も多いのですが、胸をえぐられるような「どこまでも深い」テーマが、要所に挟まれています。この「孤独のリング」はその筆頭です。
5ページ半のこのエッセイの、真ん中あたりに、隆明さんの「対談に臨む姿勢」が娘の視点で語られます。
父は“バトルマニア”だ。和気あいあいと、おしゃべりする気なら受けない。自分の“リング”に上がってきた者はボコるつもりで臨んでいる。パンチを受けても返せる者なら、リスペクトしあえて、良い対談となる。相手がかわしてばかりだったり、蹴りを入れてきたり、頭の上にちょうちょが飛んでいるような人では、お話にならない。面白いかもと思って戦ってみたら、実は“フィールド(深度)”がまったく違った、なんて場合も試合にならない。父が唯一(自分の方が)まったく“土俵”に上がれなかった……と言っていたのは、ミシェル・フーコー氏だけだった。
さて、冒頭の引用に注目してください。ハルノさんがそのように痛感したのは、世界的な作家としての名望が確立した妹のばななさんと、父隆明さんの対談が企画され、発表されたことが背景にあります。対談の前から家庭内に不穏な空気が流れます。姉であるハルノさんの心配を打ち消すように「大丈夫! 私もこの道のプロだから」と、ばななさんは応えるのですが。
父と作家としての妹……そこは良かった。多少父の方が“先生”役になったとしても、一応文芸評論家VS作家として、対話は成立していた。しかし家族の話題(実はそこが編集者の狙いなのは、分かっているが)、これはイケナイ。父はリングの下から“凶器”を取り出しそうになる。父自身が不安定で、攻撃的なサイクルでもあった(だいたい10年に1度巡ってくる)。
ハラハラドキドキですね。ハルノさんは「妹はなんとかセーブしていた」と指摘します。そして…
対談本としても(評論家と作家としての部分以外は)、なっちゃないと思う。妹が、それ以上の“泥沼”に踏み込ませないよう、「そうですね」「なるほど」と、対話を打ち切っている部分が多いからだ(普通だろう)。
ハルノさんは、「今でこそ、あの時のことをほくそえんで書いている」と言いつつも、「あの後に(家庭内で起きた)マグニチュード9クラスの激震は、思い出したくもない」と振り返っています。
この「親娘対談」は、他社から文庫化が提案されるのですが、許可されていません。“禁書”としての扱いです。父の死後、隆明さんの過去の著作を管理しているハルノさんは、「父が“ちゃぶ台返し”してしまった企画も(よほどインチキ企画でない限り)、ほとんど許諾して」います。ところが、妹であるばななさんとのこの対談は、「しかし対談本には相手がいる。この本の場合、今も妹が亡き両親に義理立てて許諾しなければ、永久にお蔵入りだ。それはそれで構わない」と、語るのです。
もっとも「もしもあの本を持っている方が読み返してみても、どこがいけないのか、何が引っかかるのかは、お分かりにならないだろう」と補足しています。
ハルノさんは、どうしてマグニチュード9クラスの激震となる対話なのか…については、徹底的に語っていないので(あえて抽象的)、私たちにとっては「謎」です。でも、「戦後思想界の巨人」「世界的声望を獲得した作家」という尊称は、両者ともが「“表現者”としての究極のプロ」であることの証です。ハルノさんは「プロの“表現者”」を、次のように捉えます。
「この人どうも“底”を見て帰ってきた人だな」と、感じる場合がある。その“深さ”の程度なのだ。つまり、水面からパチャパチャと、水中メガネで海底を覗いている人と、水深10mを自在に泳ぎ回っている人とでは、見ている世界が違うということだ。
”観察と記述の鬼”であるハルノさんのメタファーが冴えわたります。ハルノさんも「プロ中のプロ」です。
『隆明だもの』の帯に大きく「吉本家は薄氷を踏むような家族だった。」と印字されているのは、この「孤独のリング」の最後のパラグラフにある“表現”なのですね。引用して今回を終えることにします。
吉本家は、薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった(父を癒したのは猫だけだ)。そのダブルパンチをくらい、耐えきれず噴出したのだと思っている。でもそれは誰のせいでもない。過剰なまでの闇と孤独を抱えているのは、自分自身だからだ。吹きすさぶ氷雪に傷をさらしている時こそが、癒しだったからだ。父は生涯自分の孤独から、逃れられない人だったのだと思う。
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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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