「弁証法」という堅い翻訳語を「異質の調和」として再定義したい
すぐに答えの出ない問題を稠密に濃密に考え続ける。確かにこれはしんどい作業。苦しいけれども、そこからしか新しい知性は生まれてこない。これは政治家の仕事とすごく似ている。よく分からない問題で、いろんな人の声や意見も聴いて考え...
すぐに答えの出ない問題を稠密に濃密に考え続ける。確かにこれはしんどい作業。苦しいけれども、そこからしか新しい知性は生まれてこない。これは政治家の仕事とすごく似ている。よく分からない問題で、いろんな人の声や意見も聴いて考え...
哲学はまた、論文を書くことでもない。プラトンやパスカル、ニーチェも論文を書いたわけではない。三つめは、一人で考えるのではない、コミュニケーションが哲学の思考には必要だ。対話するなかで別の視点に気づき、新たな方向が見つかる...
研究と哲学とは違う。哲学の原点に帰れと問題提起した。まず、学者が頭の中で考え出すものではない。介護や教育の現場に行き、人びとが生きる上で何を大切にしてきたのか、その哲学をくみ取ることが必要だ。(日本経済新聞11月6日31...
しかし、頼みの哲学の方も閉じこもりがちで、細分化が進んで『カントにおける何々』といった『哲学・学』が主流を占めている。90年代には大阪大学で『臨床哲学』の運動を始めたのには、そうした状況を変えたいという想いがあった。(日...
時代を見通すには、それぞれの学問の根本に哲学がないといけないが、実際にはそうなってはいない。例えば医学部では病とは何か、治すとはどういうことかを根本から考えるべきなのに、その議論は哲学科に任せてきた。政治や経済、芸術表現...
科学者も官僚も政治家も専門分化して細部には詳しくても、担当分野以外ではずぶの素人で我々と変わらない。大きな流れを見通して、今やるべき課題に取り組むことができないでいる。変な言い方だが、アマチュアだらけのプロ集団になってい...
ことばと音の回転扉、それが<声>だ。声はことばとしての意味(メッセージ)を載せるが、同時にそれ自身の肌理(きめ)をもっている。その肌理が意味とは別なかたちで他者にふれる。声はいつも二重奏(デュオ)をかなでてきたのだ。 『...
何かあらかじめ内面の声というものがあって(たとえば感情)、それが声として外に表出されるのではない。声ははじめから他者に向けて送られる。他者に届けるということが声のふるまいである。 今回は『臨床とことば』第4章10番目の見...
そしてこの合わされた皮膚のあいだ、折り畳まれた皮膚のあいだから、音が響いてくる。あたりまえのことだが、人間とは音を立てる存在なのだ。ただ、声にとって音を立てる喉と聴く耳がその特権的な場所であるのは、それが空気の振動をじか...
身を擦りあわせるということ。身体がみずからに触れるということ。ここに<魂>という、ひとのいのちの原型を見るのはミシェル・セールだ。「皮膚の組織は自らの上に折り畳まれている」と、その著『五感』(米山親能訳、法政大学出版局)...
音がするのは共振という現象である。音は聴こえる。聴こえるかぎり聴く者がいる。音として聴こえるものは振動している。それがどこかに共鳴盤ないしは反響箱を見いだしたとき、そこに鳴る/聴こえるという出来事が起こる。そのとき、耳が...
愛する者のことばにも、さりげない命令、穏やかな命令が潜んでいる。一方がそれを命令形ではなく、命令ともつゆ思わず要求したことが、他方に折にふれて疼く根深い傷跡を刻んでしまう。あるいは倫理。ひとであるかぎり守るべき最低の約束...
どうしてもいやな声、聴きたくない声というものがある。顔を顰めたくなるくらい不快でどうしても受けつけない声のこともあれば、それにふれるだけでも身も凍りついてしまうほど怖い声のこともある。どういう話、どういう命令かは別として...
<顔>とは顔面のことではない。<顔>を思い浮かべるとき、顔面の子細が浮き上がってくるわけではない。毎日見なれている家族の顔でも眉毛がどうだとか耳のかたちがどうだとか言われると、それを図解することも、ことばで再現することも...
声をだす、かける、たてる、あげる、あらげる、はげます、おとす、しぼる、ふるわす、しのばせる……。声は人間の生理の、深くやわらかな部分に直結しているらしい。 今回より『臨床とことば』第4章7番目の見出し、「声の肌理(きめ)...