じぶんが浸りきっている存在の世界がじつは世界ではない…どういうこと?
じっさい、多くの家族や周囲の者は、「『呆けになっては困る』という焦燥感から、本人の言動が少しでもずれたり間違えたり失敗したりすると、間違いを細部にわたって指摘して修正を迫り、失敗しないように今までの生活の中での役割を取り...
じっさい、多くの家族や周囲の者は、「『呆けになっては困る』という焦燥感から、本人の言動が少しでもずれたり間違えたり失敗したりすると、間違いを細部にわたって指摘して修正を迫り、失敗しないように今までの生活の中での役割を取り...
みずから紡ぎだそうとしている物語をともに肯定してくれるその眼を求めるあまり、(ことばはわるいが)、その眼に媚びるということが起こる。つまり、治療者がともにたぐり寄せようとしている物語に“自分”を合わせてゆく。ポイントXを...
「聴き入る」というのは「羅針盤なしで航海する」ような危うさをともなういとなみで、「あまりにも不確実なので、偽りの海図や羅針盤にだまされそうになったりする」。では、「聴き入る」というときの「入る」はどこに入ることなのか。そ...
ことばは、かたちを求めてうごめくものにかたちを与える。ことばがかたちとなって、かたちなきものが固められる。「語る」とは自己の記述のしなおしであるかぎり、そこにどうしても「騙(かた)る」という契機が忍び込まざるをえない。 ...
そんな危うい姿をひとの前に晒すことはない(むかしの女性が、鏡の前で粧うところを他人に見られることを慎重に避けたのは、自分を多重化することのこの不安定をこころしていたからであろう)。だから、語りの手前で、ことばの宛先として...
塞いでいるとき、打ちのめされているとき、陥没しているとき、その苦痛、苦悶について語るというのは、それじたいが痛いものである。痛いことは忘れたい、思い出したくもないし、また大事なことはそれがそのまま通じるかどうかこころもと...
念を押して、もうひとつ、わたしが聞いた話を。かつて私の哲学ゼミにいて、その後看護師の道を歩んだひとりの男の話なのだが、彼がはじめて精神病棟で勤務についた日、患者さんたちの病室にある混乱が起こり、先輩の看護師から「おーい、...
ケアをすぐに何かを「してあげる」ことと考えることには、ちょっとした落とし穴がある。そのことで患者は反対に、いつも何かを「してもらう」ひととして自分を意識せざるをえなくなるからだ。そのことで患者の生きようという力を削いでし...
その問題を考えるとき、ケアはケアを必要としているひとに何かをしてあげることだという思い込みから、まずは自由になる必要があるだろう。さて、沈黙が饒舌よりはるかに物を言うことがあるように、何もしないことが献身的な行為よりも多...
事実、ひとには、それがじぶんにとって重大であればあるほど分かられてたまるかという想いがある。大事なことをようやっとぼそぼそと、あるいはとつとつと、口にしたときに、「その気持ち、分かります」などと言われれば、かえって「何が...
家裁で調停の仕事をしている知人から、こんな話を聞いたことがある。言いあって、言いあったはてに、万策尽きて、もはや歩み寄りの余地、「合意」の余地はないとあきらめきったそのときから、ようやっと「分かりあう」ということがはじま...
しかしもし「理解」ということが、他人と同じ気持ちになること、より具体的には他人と同じように感じたり、同じように考えたりすることだとしたら、そのようなことはひとりの人間にはおそらく不可能なことであろう。 『臨床とことば』の...
河合先生と向かいあったときの感触というのは、わたしにとって、ときにどでかい岩盤のようであり、ときにうぶ毛でできた森のようであり、ときにどろっとした緑の淵のようであった。わたしのわるい癖で、つい話をまとめようとする。すると...
ことばが途切れるそのときというのは、二様であった。あるときは、なにか獲物を見つけたような面持ちで会話からすっと遠ざかり、頭の中を高速回転させておられるような様子だった。未知のアイデアを、わたしなどにはとても追いつけないよ...
それがわかったのは、僕自身ときどき同じようなことをするからです。とくにインタビューをしているときには、集中して相手の言葉に耳を傾け、自分の意識の流れみたいなものを消してしまいます。そういう切り替えがうまくできないと、真剣...