「影」と直面する河合隼雄さんは、“A Bar of Shadow”によって救いを得た

河合隼雄さんの最晩年のエッセイ集である『大人の友情』は、コーチングを深く考えていくためのヒントが満載されています。1月19日に、この本を最初に取り上げて以降、毎日、一話ずつ解説を重ねてきましたが、12のテーマ・全46のエッセイも、今回の解説で、残り1テーマ・3話となりました。
その最後のテーマは「境界を超える友情」です。河合さんは3つのエッセイを当該テーマに配しました。「半歩の踏み込み」「島への手紙」「戦友」です。内容は、「究極の環境」である戦争です。
その「半歩の踏み込み」は、河合さんの“世界観”に触れることが出来る、次の記述から始まります。

友情によって、一般に考えられている境界が破られ、ふたつの世界がつながることが体験される。何らかの境界によってものごとが区別されているのは、それ相応の理由があり、それを破るには、相当な危険や苦痛を伴うことが多い。にもかかわらず、その境界を超えることに友情が大きい原動力になったり、逆に、そのことによって友情が芽生えたりする。これは、友情の意味の深さを強く感じさせるものである。

河合さんは冒頭で、憎しみの増大が自動的に増大していく(だろう)戦争の環境下、「虐待する者とされる者との間に、友情が発生することはあるだろうか?」、と自問自答し、第二次世界大戦で日本軍の捕虜となったロレンス・ヴァン・デル・ポストに触れることで、一つの解を見出します。

彼は第二次世界大戦のときに日本軍の捕虜となるが、君臨する鬼軍曹が捕虜に対して虐待の限りをつくす。そのなかで、ヴァン・デル・ポストは軍曹に深い友情を感じるようになる。
この体験をもとにヴァン・デル・ポストは『影の獄にて』(由良君美・富山太佳夫訳、思索社)という小説を書く。これは後に「戦場のメリークリスマス」として映画化されたので、それを観た人も多いことであろう。

『大人の友情』に収められている全46話のエッセイの中で、この44話目のエッセイは、もっともページの多い作品です。読み込むとその理由が理解できます。臨床心理学を学び始めた河合さんの「真摯さ」と「志」が、“しっかり”と描かれていますから。

今回の解説は、いつもと比べて、「引用」のボリュームと、紙幅が多くなることをご了解いただき、河合さんの「想い」を、“しっかり“とお伝えしようと思います。

私は1962年にスイスのチューリッヒでユング派の分析を受けていた。夢を通じての分析の中で、私は思いがけない恐ろしい自分の「影」と直面することになった。影とは自分の生きてこなかった半面であるが、確実に自分の心の深みには生きている存在である。当時はまだ日本軍の残虐性などが話題になっていた。あれは日本の軍人のことで自分には関係のないことと思っているうちは安心だが、それが「影」として自分の心のなかに存在していると知ったとき私は愕然としたのであった。

CBLコーチング情報局の「コーチング大百科」では、河合さんの学術書を通じて、ユングの「元型」を紹介しています。「影(シャドウ)」については、「影と自我の統合=自己一致」とは?…というタイトルを充て、解説を試みました。「まとめ」は、次の通りです。再掲させていただきます。

さて、「影と自我の統合=自己一致」は、カウンセリングだけの世界にとどまるものではなく、すべての人が抱える人生の課題です。コーチングのコーチは、そのテーマに向かって、クライアントと伴走するパートナーであることを最後にお伝えしておきましょう。

「影」と向きあってしまった河合さんは、茫然とします…

影と向きあって茫然としている私に対して、分析家のマイヤー先生は、ヴァン・デル・ポストの“A Bar of Shadow”(前記の書物。まだ邦訳されていなかった)を読んでみてはと推薦してくれた。
ユング研究所で借りて読みだすと、すぐハマってしまい、電車を待つ間も惜しんで読み続けたのはよかったが、溢れてくる涙をとめることができず、他の乗客の目を気にしながら読んだことを今もよく覚えている。あまり感激したので、この物語を、私の比較的初期の著作『影の現象学』(講談社学術文庫)に紹介したが、友情を語る上で逃すことのできない話として、ここで簡潔に紹介する。

ここから河合さんは、2ページにわたって、『影の獄にて』を要約しています。その紹介を終えた河合さんは、「深く長い物語をあまりにも簡略化して申し訳ない。詳しく知りたい方は是非原文をお読みください」と、綴ります。
河合さんはこの物語の「深み」を、タイパで伝えようと、「2ページ」に収めた(無理やり?)ことが伝わってくるのですが、紙幅の関係から、チャットGPTの「チャンクアップ」に代替させていただきます。

『影の獄にて』は、南アフリカの作家ロレンス・ヴァン・デル・ポストによる小説で、戦争映画『戦場のメリークリスマス』の原作です。物語は1942年、日本統治下のインドネシア・ジャワ島の俘虜収容所を舞台に展開します。
主人公は英国軍人セリアズで、彼は収容所に収容されます。収容所の所長はヨノイ大尉で、彼はセリアズに惹かれつつも、俘虜たちを厳しく支配しようとして孤立していきます。同じ収容所にいる俘虜ロレンスと軍曹ハラとの友情も描かれます。
物語は太平洋戦争の状況が変化し、クリスマスの奇跡が訪れるところで結末を迎えます。ヴァン・デル・ポストは人間の心の葛藤や友情、戦争の厳しさを繊細に描いており、読者に深い感銘を与える作品となっています 。

要約しながら、ご自身の“想い”を盛り込む河合さんの視点は、ロレンスと軍曹ハラにフォーカスされます。

捕虜たちはハラを野獣のように恐れ嫌っていた。しかし、ロレンスは違った。ハラの眼には「一点の下劣さも不誠実さの影もさしていない。太古の光を宿しているだけだ」と彼は言い、「あの男には、なんとなく好きになれる、尊敬したくなるなにかがある」とさえ思った。あるいは、「ハラは生きた神話なんだ。神話が人間の形をとって現れたものなんだ。強烈な内面のヴィジョンが具現したものなんだ」とも。

大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』は、デビット・ボウイや坂本龍一などを起用したキャスティングで話題になりました。ハラは、俳優デビューの「ビートたけし(北野武)」です。大島渚監督は北野武に、演技者だけでなく「監督の才」を感じ、「映画をつくってみたらいい」と薦めています。大島渚監督の眼力が「世界のキタノ」を生み出したと言えそうですね。

河合さんは、自分の「影」と対話し、臨床心理学者としての「自己基盤」を確立していきます。「河合さんの人生」とは、西洋発のカウンセリングと、日本(東洋)の文化という“境界”に葛藤し、それを「異質の調和」として統合させていく「自己実現との格闘」であったように筆者は感じています。

私が特に注目したいのは、ハラが最後に自分の死に対して「なぜ」と問いを発するところである。彼が徹底して日本的であれば運命を甘受して黙って死ぬだろう。ここで、「なぜ」と問うのは、彼がロレンスとの友情を通じて、西洋的な生き方を少し自分のものにしたからではないだろうか。そして、それに対するロレンスの答えはハラも言うとおり、まさに日本的である。捕虜収容所での二人の対話はそれぞれが自分の世界に立って発言し、まったくすれ違ったものになった。しかし、最後の対話においては、両者はそれぞれ相手の世界に半歩踏み込み、それによって深い友情を結ぶことになった。東洋と西洋という境界を超えての友情がそこに成立するのである。


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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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