コーチの私が「究極の対話」を行なっている姿を想像してみる!
<心理療法コレクションシリーズ>は、Ⅰ~Ⅵの6冊が出版されています。これまで、当該シリーズを取り上げ、コーチングを語ってきました。ただこの6冊のうち、1冊だけは「CBLコーチング情報局」でテーマアップしていません。それが...
<心理療法コレクションシリーズ>は、Ⅰ~Ⅵの6冊が出版されています。これまで、当該シリーズを取り上げ、コーチングを語ってきました。ただこの6冊のうち、1冊だけは「CBLコーチング情報局」でテーマアップしていません。それが...
『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』の第8章の最後で、河合隼雄さんは「個人のなかの社会」という項を設け、語ります。冒頭で河合さんは、「会社に新しく入社した女性社員が、職場の人間関係がうまくゆかず、仕事は面白くないの...
『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』の第8章は、それぞれ独立したコラムを配置する、といった構成です。前回は「IT革命」でしたが。その次の見出しは「女性の生き方」です。とても難しいテーマですが、取り上げることにします...
『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』は、河合隼雄さんの晩年の著作、講演をチョイスしたアンソロジーです。生成AIの登場に見られるように、テクノロジーに関しては、十数年前とは大きく変化しているように感じますが、河合さん...
今回のキーワード解説は、河合隼雄さんの『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』第8章にある「新しい家族関係」を取り上げます。 他の心理療法家から聞いて、深く印象づけられたことがある。それは家庭内で暴力を振るう男子高校生...
『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』は、河合隼雄さんの晩年の著作、講演をチョイスしたアンソロジーです。今回のキーワード解説は、その「第8章 個人と社会」の中の「イエの崩壊」を取り上げることにしましょう。冒頭で河合さ...
ユングの代表的業績の一つに「タイプ論」があります。敬愛していたフロイトから、まずアドラーが分かれ、その後で自分もフロイトから袂を分かち、それぞれ異なる学説を提起することになったのか… ユングは考えました。そしてユングは、...
河合隼雄さんは『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』のなかで「こころの現象と因果律」という章を設け、冒頭で「不可解と思える人間のこころの現象に、原因―結果の連鎖を見出して、それを用いることによってこころの問題を解決し...
『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』のなかの一節です。 人間はそれぞれ物語を生きようとしている、と最近ますます思うようになった。それは一人ひとりすべて異なり、ひとつとして同じものはない。そのような意味で、人間は全て...
『<心理療法コレクションⅥ>心理療法入門』のなかで、河合隼雄さんは、「物語」は「つなぐ」ことによって生まれてくることを語ります。 物語は、そもそも文と文を「つなぐ」ことによって出来上がる。これは多くの人の指摘していること...
河合隼雄さんの<心理療法コレクション>Ⅰ~Ⅵの各巻末には、このシリーズがどのような背景で刊行されたのか、編者である河合俊雄さんの言葉が添えられています。 本コレクションは、私の父であり、ユング心理学を日本で最初に本格的に...
『<心理療法コレクションⅤ>ユング心理学と仏教』の中の一節です。 六世紀に仏教が日本に伝来して以来、それは急激に日本にひろがりました。しかし、一般の民衆にとって、仏教はその教義や戒律、儀礼などと結びついて理解されたのでは...
『<心理療法コレクションⅤ>ユング心理学と仏教』の中の一節です。 読者の皆さんは、「私が誰か」(Who am I?)という質問を自分に対してした場合、すぐに答えられると思います。「私は心理学者である」とか、「私は教授であ...
『<心理療法コレクションⅤ>ユング心理学と仏教』の「ユング派とは何か」のなかで、河合隼雄さんは、次のように語っています。 個性化という点を強調するならば、別にユング派、フロイト派などと言わず自分の道を行けばよい、と思われ...
『<心理療法コレクションⅤ>ユング心理学と仏教』の冒頭で、河合隼雄さんは、つぎのように本書の目的を語ります。 ここで意図されるのは、「私」という個人がユング派の訓練を受け、ユング派分析家として「日本」という異文化の土地で...