禅の立場から見ますと、人間はどうも喋りすぎる
……「対話を超えて」とか「対話の向こう側」とかいうこと、つまり人間本性に内在する対話への性向を超克することを意味します。世にいわゆる禅的沈黙がそれであります。沈黙は対話への性向を超えて、言葉をだんだん少なくしていって最後...
……「対話を超えて」とか「対話の向こう側」とかいうこと、つまり人間本性に内在する対話への性向を超克することを意味します。世にいわゆる禅的沈黙がそれであります。沈黙は対話への性向を超えて、言葉をだんだん少なくしていって最後...
こうして対話の可能性……異文化間の対話であれ、同一文化圏内での、あるいは同一言語内の対話であれ……は、たんに理論的に興味ある問題であるばかりでなく、いやそれにもまして、今日の世界に生きる我々の存在そのものに関わる重大な問...
現在、言語的コミュニケーションの可能性・不可能性の問題は、特に異文化間の対話、すなわち文化伝統を異にする対話者の間の言語的コミュニケーションの問題として異常な先鋭度を以って起こってきております。実際、いかなる文化も他の諸...
(中沢)そうしたときに、自分はまず何をおいても仏教だと思ったのです。では、沈潜先はどこからにするか、といって辿りついたのがチベット仏教のお坊さんの世界でした。ですから、僕は仏教徒ではありますけれども、仏教学者ではありませ...
(河合)「『仏教とは何か』言うたら、どういうふうにしゃべるんですか」というところから始めますか。(中沢)仏教はまず「宗教ではない宗教」と言えるんじゃないですか。少なくとも僕はそんなふうに理解して、仏教に関心を持ち続けてき...
自分の心理療法の経験について外国で講義をしたり、講演をしたりするときに、それが仏教によって支えられていることを、だんだんと意識するようになった。しかし、私は仏教を専門に勉強したのでもないし、偉いお坊さんについて修行したの...
(河合)見ないタイプの人でしょうね。あの人はもう現実を細かく細かく……。それが夢だったわけですね。だから、それでやっていたわけです。結局、あるといったって、ないのと同じでしょ。だから、夢でやろうが現実でやろうが同じじゃな...
(中沢)熊楠の夢というのは、たとえば漱石の夢なんかよりずっとダイナミックですよね。漱石の夢の鬱屈の仕方とは、ぜんぜん違います。(河合)もっとストレートにピタッと出てくるんですね。柳田國男という人は、そういうところがなかっ...
(中沢)けれども、今の大脳生理学の研究などを見ますと、大脳の構造自体、多次元を見るようにつくられてしまっているということでしょ。(河合)そうなんです。(中沢)ですから、いかにそれを見ないように、抑えるかという機構を発達さ...
(中沢)ちょっと職人という感じではないかもしれないけど、関西では南方熊楠が、やはり夢のことにすごく興味をもっていますね。(河合)そうなんですか。 引用は、河合隼雄さんと中沢新一さんの対談である『ブッダの夢』第6章「汎神論...
(河合)そうそう。関西の人がよく「アホか」と言うでしょう。教授同士で「アホか」「アホか」って言っているのは、アホばっかり教授になってオモロイことやってるからなんです(笑)。東京はたいへん賢い人ばかり教授になっていますから...
(河合)けれども、現在の日本ではパイづくり的作業を捨てるほどいいというか、捨てた分、知性を磨こうというふうにどんどん行ってるでしょ。受験勉強はその最たるものですけどね。(中沢)もっと言えばラカン派もそうですよね。京都はい...
(中沢)この巨大な経済の悪夢から、人間は逃げようがないわけです。(河合)それでもできるだけのことはしないとね。(中沢)そう考えると、社会主義というのは面白いと思うんですよ。セノイの夢理論にけっこう近いことをやろうとしたわ...
(中沢)僕は人間が起きているときのいちばんそれに近い体験というのは、経済ではないかと。ことに資本主義経済というのは、この夢はひどい夢だと思って(笑)、見てるわけでしょ。けれども、どうしようもない。これをこっちへもっていく...
(河合)先ほどの土器をこねるとか夢のこね方の話で、こねるとか断片の完成ということでは箱庭療法とすごく関係がありますね。箱庭もやはり砂をこねてつくるわけですから。けれども箱庭の場合は、逃げてやろうと思えばいくらでも逃げられ...