哲学には世の中が変だぞと感じる感受性とアンテナが欠かせない
時代を見通すには、それぞれの学問の根本に哲学がないといけないが、実際にはそうなってはいない。例えば医学部では病とは何か、治すとはどういうことかを根本から考えるべきなのに、その議論は哲学科に任せてきた。政治や経済、芸術表現...
時代を見通すには、それぞれの学問の根本に哲学がないといけないが、実際にはそうなってはいない。例えば医学部では病とは何か、治すとはどういうことかを根本から考えるべきなのに、その議論は哲学科に任せてきた。政治や経済、芸術表現...
科学者も官僚も政治家も専門分化して細部には詳しくても、担当分野以外ではずぶの素人で我々と変わらない。大きな流れを見通して、今やるべき課題に取り組むことができないでいる。変な言い方だが、アマチュアだらけのプロ集団になってい...
ことばと音の回転扉、それが<声>だ。声はことばとしての意味(メッセージ)を載せるが、同時にそれ自身の肌理(きめ)をもっている。その肌理が意味とは別なかたちで他者にふれる。声はいつも二重奏(デュオ)をかなでてきたのだ。 『...
何かあらかじめ内面の声というものがあって(たとえば感情)、それが声として外に表出されるのではない。声ははじめから他者に向けて送られる。他者に届けるということが声のふるまいである。 今回は『臨床とことば』第4章10番目の見...
そしてこの合わされた皮膚のあいだ、折り畳まれた皮膚のあいだから、音が響いてくる。あたりまえのことだが、人間とは音を立てる存在なのだ。ただ、声にとって音を立てる喉と聴く耳がその特権的な場所であるのは、それが空気の振動をじか...
身を擦りあわせるということ。身体がみずからに触れるということ。ここに<魂>という、ひとのいのちの原型を見るのはミシェル・セールだ。「皮膚の組織は自らの上に折り畳まれている」と、その著『五感』(米山親能訳、法政大学出版局)...
音がするのは共振という現象である。音は聴こえる。聴こえるかぎり聴く者がいる。音として聴こえるものは振動している。それがどこかに共鳴盤ないしは反響箱を見いだしたとき、そこに鳴る/聴こえるという出来事が起こる。そのとき、耳が...
愛する者のことばにも、さりげない命令、穏やかな命令が潜んでいる。一方がそれを命令形ではなく、命令ともつゆ思わず要求したことが、他方に折にふれて疼く根深い傷跡を刻んでしまう。あるいは倫理。ひとであるかぎり守るべき最低の約束...
どうしてもいやな声、聴きたくない声というものがある。顔を顰めたくなるくらい不快でどうしても受けつけない声のこともあれば、それにふれるだけでも身も凍りついてしまうほど怖い声のこともある。どういう話、どういう命令かは別として...
<顔>とは顔面のことではない。<顔>を思い浮かべるとき、顔面の子細が浮き上がってくるわけではない。毎日見なれている家族の顔でも眉毛がどうだとか耳のかたちがどうだとか言われると、それを図解することも、ことばで再現することも...
声をだす、かける、たてる、あげる、あらげる、はげます、おとす、しぼる、ふるわす、しのばせる……。声は人間の生理の、深くやわらかな部分に直結しているらしい。 今回より『臨床とことば』第4章7番目の見出し、「声の肌理(きめ)...
が、ただひとつ、そのためには、そのひとがそれまでの人生を何を軸として自分が納得できるようにまとめてきたかを考える必要がありそうだということ。そのことだけは予感としてある。「物語」という視点がいろいろに問題を含みながらも、...
じっさい、多くの家族や周囲の者は、「『呆けになっては困る』という焦燥感から、本人の言動が少しでもずれたり間違えたり失敗したりすると、間違いを細部にわたって指摘して修正を迫り、失敗しないように今までの生活の中での役割を取り...
みずから紡ぎだそうとしている物語をともに肯定してくれるその眼を求めるあまり、(ことばはわるいが)、その眼に媚びるということが起こる。つまり、治療者がともにたぐり寄せようとしている物語に“自分”を合わせてゆく。ポイントXを...
「聴き入る」というのは「羅針盤なしで航海する」ような危うさをともなういとなみで、「あまりにも不確実なので、偽りの海図や羅針盤にだまされそうになったりする」。では、「聴き入る」というときの「入る」はどこに入ることなのか。そ...