「しかし、誰の?」は、個人を超えた「すべての人類」なのかもしれない…
愛する者のことばにも、さりげない命令、穏やかな命令が潜んでいる。一方がそれを命令形ではなく、命令ともつゆ思わず要求したことが、他方に折にふれて疼く根深い傷跡を刻んでしまう。あるいは倫理。ひとであるかぎり守るべき最低の約束...
愛する者のことばにも、さりげない命令、穏やかな命令が潜んでいる。一方がそれを命令形ではなく、命令ともつゆ思わず要求したことが、他方に折にふれて疼く根深い傷跡を刻んでしまう。あるいは倫理。ひとであるかぎり守るべき最低の約束...
どうしてもいやな声、聴きたくない声というものがある。顔を顰めたくなるくらい不快でどうしても受けつけない声のこともあれば、それにふれるだけでも身も凍りついてしまうほど怖い声のこともある。どういう話、どういう命令かは別として...
<顔>とは顔面のことではない。<顔>を思い浮かべるとき、顔面の子細が浮き上がってくるわけではない。毎日見なれている家族の顔でも眉毛がどうだとか耳のかたちがどうだとか言われると、それを図解することも、ことばで再現することも...
声をだす、かける、たてる、あげる、あらげる、はげます、おとす、しぼる、ふるわす、しのばせる……。声は人間の生理の、深くやわらかな部分に直結しているらしい。 今回より『臨床とことば』第4章7番目の見出し、「声の肌理(きめ)...
が、ただひとつ、そのためには、そのひとがそれまでの人生を何を軸として自分が納得できるようにまとめてきたかを考える必要がありそうだということ。そのことだけは予感としてある。「物語」という視点がいろいろに問題を含みながらも、...
じっさい、多くの家族や周囲の者は、「『呆けになっては困る』という焦燥感から、本人の言動が少しでもずれたり間違えたり失敗したりすると、間違いを細部にわたって指摘して修正を迫り、失敗しないように今までの生活の中での役割を取り...
みずから紡ぎだそうとしている物語をともに肯定してくれるその眼を求めるあまり、(ことばはわるいが)、その眼に媚びるということが起こる。つまり、治療者がともにたぐり寄せようとしている物語に“自分”を合わせてゆく。ポイントXを...
「聴き入る」というのは「羅針盤なしで航海する」ような危うさをともなういとなみで、「あまりにも不確実なので、偽りの海図や羅針盤にだまされそうになったりする」。では、「聴き入る」というときの「入る」はどこに入ることなのか。そ...
ことばは、かたちを求めてうごめくものにかたちを与える。ことばがかたちとなって、かたちなきものが固められる。「語る」とは自己の記述のしなおしであるかぎり、そこにどうしても「騙(かた)る」という契機が忍び込まざるをえない。 ...
そんな危うい姿をひとの前に晒すことはない(むかしの女性が、鏡の前で粧うところを他人に見られることを慎重に避けたのは、自分を多重化することのこの不安定をこころしていたからであろう)。だから、語りの手前で、ことばの宛先として...
塞いでいるとき、打ちのめされているとき、陥没しているとき、その苦痛、苦悶について語るというのは、それじたいが痛いものである。痛いことは忘れたい、思い出したくもないし、また大事なことはそれがそのまま通じるかどうかこころもと...
念を押して、もうひとつ、わたしが聞いた話を。かつて私の哲学ゼミにいて、その後看護師の道を歩んだひとりの男の話なのだが、彼がはじめて精神病棟で勤務についた日、患者さんたちの病室にある混乱が起こり、先輩の看護師から「おーい、...
ケアをすぐに何かを「してあげる」ことと考えることには、ちょっとした落とし穴がある。そのことで患者は反対に、いつも何かを「してもらう」ひととして自分を意識せざるをえなくなるからだ。そのことで患者の生きようという力を削いでし...
その問題を考えるとき、ケアはケアを必要としているひとに何かをしてあげることだという思い込みから、まずは自由になる必要があるだろう。さて、沈黙が饒舌よりはるかに物を言うことがあるように、何もしないことが献身的な行為よりも多...
事実、ひとには、それがじぶんにとって重大であればあるほど分かられてたまるかという想いがある。大事なことをようやっとぼそぼそと、あるいはとつとつと、口にしたときに、「その気持ち、分かります」などと言われれば、かえって「何が...