“虫”をメタファーとして自在に言葉にする“日本人の無意識”に関する一考察
前回から引用をはじめた、河合隼雄さんの『大人の友情』の2話目は「馬が合う、虫が好かない」です。河合さんは冒頭で、「主語は“馬”、“虫”と人間でないものになっているところである」と、コメントし、「類似の表現が外国にあるかど...
前回から引用をはじめた、河合隼雄さんの『大人の友情』の2話目は「馬が合う、虫が好かない」です。河合さんは冒頭で、「主語は“馬”、“虫”と人間でないものになっているところである」と、コメントし、「類似の表現が外国にあるかど...
前回まで、55のエッセイを集めた『こころの処方箋』について、一つずつ取り上げ、コーチングに敷衍してきましたが、それが終了したところで、今回から、同じく河合隼雄さんの著作である『大人の友情(朝日文庫)』を取り上げてみようと...
河合隼雄さんの『こころの処方箋』を引用して、コーチングを語ることを続けてきて、その最後を前回の、「創造の種子」が発芽し、伸びてできあがった「創造の作品」は、その人の人生そのものなのである! で終える予定でしたが、今回、も...
55のエッセイを集めた『こころの処方箋』の55番目のタイトルは「すべての人が創造性をもっている」です。この最後のエッセイは、「コーチングの哲学」をも感じとることができる珠玉のエッセイです。「心理療法の仕事をしているために...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の54番目のタイトルは、「“幸福”になるためには断念が必要である」です。 このエッセイ集は全部で55ほど集められていますので、この回を含めて、あと2回となりました。あらかじ...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の53番目のタイトルは、「“知る”ことによって二次災害を避ける」です。 このエッセイ集は、1992年の発刊ということもあって、タイトルにある「災害」は「雲仙普賢岳の大火砕流...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の52番目のタイトルは、「精神的なものが精神を覆い隠す」です。 河合さんは、1ページ目の最後あたりで「高校野球」を取り巻く象徴的な条件について、明確な批判の眼差しでコメント...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の51番目のタイトルは、「裏切りによってしか距離がとれないときがある」です。 今回のエッセイタイトルは、なかなかシビアですね。当該エッセイは、前回の内容を引き継いでいるよう...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の50番目のタイトルは、「のぼせが終わるところに関係が始まる」です。 この趣深いタイトルに接すると、「果たしてどのような内容なのか?」と興味がそそられますね。「ある若い女性...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の49番目のタイトルは、「心配も苦しみも楽しみのうち」です。 河合さんは、1ページ目の終わりから2ページ目にかけて、タイトルの意味するところを次のように概説します。 「心配...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の48番目のタイトルは、「羨ましかったら何かやってみる」です。 河合さんの55ほど集めたこのエッセイ集は、基本的にすべて「クライマックス法」の流れです。最後に私たちの心にス...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の47番目のタイトルは、「2つの目で見ると奥行きがわかる」です。 動物に「二つの目」が備わっているのは、神様の配剤かもしれません。生理学的にも意味をもっています。河合さんは...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の46番目のタイトルは、「権力の座は孤独を要求する」です。 このエッセイは、次の言葉から始まります。 前回は権力と権威のことについて述べ、特に内的権威の意味の方に焦点を当て...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の45番目のタイトルは、「権力を棄てることによって内的権威が磨かれる」です。 前回の解説でも、以前アップした内容を振り返っていますが、今回は、「日本的民主主義の功罪について...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の44番目のタイトルは、「物が豊かになると子育てが難しくなる」です。 このエッセイ集は、1992年の発刊です。バブル経済崩壊の足音がヒタヒタと迫ってはいましたが、バブル経済...