これまでもアドラーが最も重視する「共同体感覚」について取り上げてきました。「共同体」という言葉そのものは、広く使われる表現であり、かつ平易です。したがって、多くの人がこの言葉に接しても“とまどう”ことはないでしょう。
ただ外国語は、それがどのような言葉に翻訳されるかで、受けとめられるニュアンスも変わってきますので、今回のキーワード解説は、原点に立って、アドラー自身の言葉を紹介することにします。
ちなみに原語はドイツ語の「gemeinschaftsgefühl」で、英語は「social interest」と訳されました。ただ英訳の「social interest」では、アドラーが用いた「gemeinschaftsgefühl」の真意を伝えきれていない、と多くの識者が語っていることを添えておきます。
「共同体感覚」は全ての努力の上、永遠に当てはまると思われるような共有の形であり、いわば人が完成への目標を達成したときに得られるものである。それは今現在の共同体でも社会でもなく、政治的あるいは宗教的な形でもない。それどころか完成に最も適している目標は、すべての人類の間の理想的な社会、進化の最高の実現をあらわす目標であるべきである。われわれの「共同体感覚」の理想は、人間性の究極な理想である。つまり目標が私たちに私たちの方向性を与えてくれるのだ。
(『現代に生きるアドラー心理学』)
いかがでしょうか? 「人が完成への目標を達成したときに得られるもの」であり、その目標は「すべての人類の間の理想的な社会、進化の最高の実現をあらわす目標」であると、アドラーは定義づけているのです。誰しもが「これ以上高邁な表現は思いつかない…」と実感できる熱い言葉です。
アドラーは、この境地を一人ひとり、そして世界が共有するために、自分は何を思い、何を考え、そして何に取り組んでいけばよいかを自問自答し、実践し続けた人です。
アドラーは内科医、精神科医からスタートし、当時勃興した分野である「心理学」の枠組みで「人間とは?」をテーマに研究を始めています。それもあって、100年を経た今も、アドラー、そして弟子たちが体系化させていった概念は、哲学的であることを多くの人が認識しつつも、「アドラー心理学」という呼称で紹介されます。
「psychology・心理学」は、100年のときに揉まれ、「学問」としてもオーソライズされるに至っています。“学”を通じて“理論化”されるためには、再現性をはじめとする「厳密な視座」が問われます。「アドラー“心理学”」が批判されることが多いのは、その「学問性」に立脚した立場からの視点です。
さて、アドラーの唱える「共同体“感覚”」について、私たちは何を“感じる”でしょうか?
アドラー自身が語る言葉に直接触れてみると、「学問」はもちろん大切であるが、そのことから自由になってみるのも、また大切であると“実感”できそうですね。
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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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