日本の歴史上もっともラディカルな革命期…それが「鎌倉時代」!
(中沢)……「日本仏教」と言われているのはいったいどういうものかと言ったら、中国やインドから非常に高度な思想が入ってきたわけですが、高度な学問として追求される時代が長く続きました。でも、それでは日本仏教として根づきません...
(中沢)……「日本仏教」と言われているのはいったいどういうものかと言ったら、中国やインドから非常に高度な思想が入ってきたわけですが、高度な学問として追求される時代が長く続きました。でも、それでは日本仏教として根づきません...
(河合)だから僕が言うてるとおりだったら、もっと日本人はイライラしたり、喧嘩がおこったりするはずやけど、あんまりしていないでしょう。これはやはり意識的にまだどこかで仏教的なんです。(中沢)安心があるんですね。 河合隼雄さ...
(中沢)いまのダライ・ラマも、自分は再生しない、と言っているようですが、お釈迦様の沈黙はそれにもまさるすごさです。(河合)それもすごいと思いますね。釈迦にとっては輪廻するかしないかは問題でないのですね。輪廻するかしないか...
(中沢)…… こう教えるんですね。「あらゆる生き物が楽になりたい、と思っている。でも楽になるためには正しい方法を知らないので、苦しみから逃れることができないでいる。仏教はそこで、本当に楽になるための正しい道を教えるのであ...
(河合)まさにそのとおりで、一家言どころか、何家言もあるんですよ(笑)。というのは、僕の職業も幸福に非常に関係する職業と思われているわけです。言うなれば不幸な人がカウンセラーに会って、幸福の道を見出すというのがいちばんみ...
(中沢)そのあたりですね、ポイントは。「我執を捨てれば幸福になれる」という言い方そのものが、西洋的幸福と東洋的安心の間でよじれちゃってる。仏典をいろいろ見てみると、「幸福」にあたる言葉はなくて、いちばん近いのが「楽」とい...
(中沢)今日のテーマは「幸福」です。黄色いハンケチをたなびかせて女の人が待っていてくれるんじゃなくて、黄色い袈裟のお坊さんがお寺で待っていてくれる、それが仏教の幸福だって話にしたいんですが、どうもいくら調べてみても、仏典...
(中沢)親鸞の話ですが、日本の仏教が親鸞までいくと、結局、日本人が、それこそ縄文時代から持っている自然感覚とか、人間についての思いとか、そういう場所に着地していくんですね。「癒し」ということで言ってはいけないかもしれない...
(中沢)いまの子どもたちは一種のプチグノーシスをやっているんだと思います(笑)。「この世界、違うんです。こんなのいやなんです」と言っているわけですから。(河合)そうです。いや、ほんまそうですよ。(中沢)これを生み出してい...
(中沢)おそらく、ハイデッガーの哲学は、東洋へもってくると、密教と同じようなことを言っているという認識になると思うんです。神秘に関わることを「在る」と表現しているだけで、「私」はその「在る」の中心部にいる。彼は踏み込む、...
(中沢)そうですね。まわりをドーナツ状に、一種の比喩です。(河合)そう、そう。(中沢)すべて比喩で回転しつづけているけれども、その中心部には言葉の能力でもっては踏み込めない部分があるということなんでしょうね。(河合)おそ...
(中沢)…… 密教だけではなくて、『般若経』でも「言語不能、言葉で言うことは不能、だけどこれは確実に、肯定的に、ある」と言われます。すると『般若経』というのは微妙なんですね。文言では全部「否定」しているにもかかわらず、最...
(河合)仏教の場合、まさにブッダは「これでもない、これでもない」と行きますよね。その「これでもない」をつづけていったところで、「これだ」というものを言っていることになるんですか、言ってないんですか。(中沢)ブッダ自身につ...
(河合)そうです。だからユングは、晩年になるほどその点をわりあい理論的にはっきり分けていて「元型そのものは絶対わからない」ということを何べんも言っています。何か自分を超えたもので、それが「意識のなかで意識化されてくると、...
(中沢)「阿弥陀如来」と言ってしまってもいいし、言わなくてもいい。「グレートマザー」でも、「自然」でもいいけれども、そう言ってしまってもいいし、言わなくてもいいわけですね。ただ何かさっき言った「絶対肯定」……。 河合隼雄...