「男性原理」はかならずや「問題」を起こしてしまう。その「解決法」とは…
(中沢)人間の文化とか宗教というものを、いままで考えられていたような理解で、これからやっていてもいいのかなと、僕などは考えてしまうんです。ユングはそういうことに気がついていた数少ない人だ、という印象を受けます。(河合)た...
(中沢)人間の文化とか宗教というものを、いままで考えられていたような理解で、これからやっていてもいいのかなと、僕などは考えてしまうんです。ユングはそういうことに気がついていた数少ない人だ、という印象を受けます。(河合)た...
(河合)鎌倉時代になって日本人も変わってきた。みんな悩み方に変化がおきたと見るべきではないでしょうか。だからもともとの仏教とは明らかにあそこで違ってくるというか。(中沢)なぜそんな変化が出てきたかというと、おそらく法然や...
(中沢)…… 仏教にも狩猟にも、戒律は「野生の思考」としての側面が強いのですが、この点が違いをつくります。もちろん殺生の問題というのも関わっています。仏教は殺生を嫌いますから。しかし、日本では鎌倉初期に親鸞があらわれて、...
(河合)非常にむずかしい道を分け入り、分け入りして進んでいかなければなりませんから。ところで、狩人の場合は狩りのときだけ守っていればいいんですね。(中沢)そうです。(河合)こっちの現実世界に帰ってきたら戒を守らなくてもい...
(中沢)そこで話をもとに戻しますと、仏教にとって性の問題は、決して消極的に否定すべきだからびくびくしていたんじゃなくて、真理が女性形で、そこに踏み込んでいく修行だからこそのマニュアル集としての具体性がそなわっていた。そし...
(河合)ええ、ええ、だからその戒を守らない者は罰せられるのではなくて極楽往生に失敗することになる。(中沢)罪をおかすことになるからするな、じゃなくて、これこれのことをすると肥溜めに落ちるぞ、だからやめとけというタイプの戒...
(中沢)ところが、ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも、いわゆる一神教と呼ばれている宗教では、真理が女性形ではありません。神は男性形で理解されています。このお父さんはロゴスの命令を、つまり言葉をつうじて理性的な命令を...
(中沢)…… 人間の認識が辿りつく到達点ほ「ブラジュニャパーラミーター=般若波羅密多」と、大乗仏教では言いましたが、これを「般若波羅密多母」=「認識のお母さん」と呼んでいます。「空」はこういう女性性をそなえています。その...
(中沢)ところがある日僕ははたと気がつきました。ある本を読んでいるときに、「これはどこかで見たな、ああ、そうだ、仏教の『律蔵』だ」と思ったことがありました。それは、シベリアの狩人が熊狩りなどのために山に入っていくときに、...
サーリプッタ長老(『般若心経』に登場する舎利子)は、釈尊や自分たちのような直接教えを聞いた弟子たちが滅した後も、その教えが正しく伝わるよう、釈尊に戒律の制定を強く望んだ。戒律こそ、花が風に散らされぬようまとめる糸のような...
(中沢)日本では浄土真宗などが妻帯も肉食も認めてきましたし、戒律を否定するという方向で大部分の仏教徒がやってきました。そのために小乗仏教の戒律の問題は、それほど真剣に取り上げられてこなかったのですが、ブッダの頃もそのあと...
(中沢)きょうは仏教と戒律の話をしようと思います。戒律といえば性の戒律がいちぱん重要なテーマです。でもそれは仏教だけじゃなくて、あらゆる宗教にとっても悩みの種であるし、避けて通れない問題です。 今回より、河合隼雄さんと中...
(中沢)戦わないとだめなんですね。ブッダたちの言い方では、真理は世界と同居できると言っています。「だから泥のなかから咲いたハスのようだ」。実は泥がないとハスは咲かないわけでしょう。ですからこれは持ちつ持たれつで同居してて...
(中沢)1970年代最初に僕がチベット人と会ったときに、彼らの多くはチベット高原をおりてきたばかりでした。いろいろ話をすると大変面白かったですね。キリスト教の話になって、「キリスト教徒というのは可哀相だ。あんな板に打ち付...
(中沢)『旧約聖書』の「出エジプト記」を見ますと、エジプトで長いこと奴隷生活を送っていたイスラエルの人びとが、モーセの指導によってカナンの地へ移動した一回限りの出来事みたいに言っていますけど、どうもいまの聖書学だと、そう...