鷲田清一さんは哲学を本来の「philosophy」に近づけようと奮闘している
(鷲田)臨床と言う概念……。そういう名称がよいのかどうか、ものすごく迷ったんです。でも、考えたら、哲学の父祖と言われているソクラテスは何も書物を残していないわけですし、本を読んでものを考えたんではないですよね。(河合)会...
(鷲田)臨床と言う概念……。そういう名称がよいのかどうか、ものすごく迷ったんです。でも、考えたら、哲学の父祖と言われているソクラテスは何も書物を残していないわけですし、本を読んでものを考えたんではないですよね。(河合)会...
今回は、臨床心理学と臨床哲学の「対話」ということで、このような対話を試みた。これは私にとって非常に有意義なことであった。やはり、臨床の日常の仕事で忙しいと、個々のケースについて考えるにしても、なかなか一般化したり、客観化...
本書では鷲田さんと、人と人の「距離」について話し合っている。このことは、今後もう少し組織的、体系的に考えてゆかねばならぬことと思っている。あらゆる「臨床」という学問において大切になってくることで、それは人と人との間のみな...
「聴く」という態度で接すると、相手の人の心が自由にはたらきはじめる。無意識内の心のはたらきが活性化されると言っていいだろう。そこで、その人はそれを何とか言語にして話しはじめる。それを聴く側としては、それに応答してゆくのだ...
鷲田さんの「臨床哲学」は、その中心に「聴くこと」が据えられている。これも、私としては、大変嬉しいことだ。何しろ、私は「臨床心理学」の根本に「聴くこと」があると、かねがね主張してきたところである。これはどうしても、「聴くこ...
「臨床の知」は、まだまだアカデミックな世界では認めら難いところがある。そんなときに、「臨床哲学」を名乗る哲学者が現れたのだから、私としては強力な援軍が出現したと思ったのである。実は、臨床教育学というのは私が言い出したのだ...
献花の列に並び、祭壇の前まで来た時、先生の遺影がとても明るく柔らかい光で包まれているのに気づき、はっとしました。そしてすぐに、ライトが先生を照らしているのではない、先生自らが光を放っておられるのだと感じたのでした。献花を...
心がよそに行っていたら、必ず患者さんにばれる、と先生はおっしゃっています。だから患者さんたちはきっと、先生の心が間違いなく自分のすぐそばにあると、感じていたことでしょう。心理学の専門家でもない、患者でもない私がこんなこと...
先ほど、“うまいこと”が起こる、という言葉が出てきましたが、これは著作の中でも、今回の対談でも先生が使われている表現です。 今回は、カウンセリングの過程で、クライアントが問題を解決していく重要な要素に、「“偶然”というこ...
ルートさんはジャクリーヌさんのそばに静かに控えていました。インタビューにじっと耳を傾け、うなずいたり、遠くを見つめたりしながら、奥さんが言葉に詰まるとすぐさま助け舟を出します。京都で買った生八つ橋がお気に入りで、インタビ...
ルートは私が作り上げた登場人物ではありせん。私はただ、自分が書こうとしている物語の前にひざまずき、ルートという言葉をその器の中に解き放っただけです。作者の手の届かない場所でこそ、登場人物たちは成長できるのかもしれません。...
ユダヤ人中学で同級生となったアンネとジャクリーヌさんは、お互いの家に泊まり合い、秘密を分け合うかけがえのない友だちとなります。しかしアンネの隠れ家への潜行により、二人は離れ離れとなり、もう二度と会うことは叶いませんでした...
少年をルートと名づけたのは単なる行き当たりばったりに過ぎません。数学をテーマにした小説だから、何か数学の記号から名前を取ろうと、参考書をパラパラとめくり、シグマ、ログ、サイン、コサイン、タンジェント等の中から音の響きだけ...
思い切り想像の翼を飛翔させ、どんなに遠く現実から離陸したつもりでも、物語は宙にふわふわと漂う単なる妄想ではなく、根は必ず、現実を生きる人間の内面と結びついているのです。逆に、そうでなければ小説は意味を持たないでしょう。 ...
一度きりの予定であった会話を、もう少し時間をかけて幾度か積み重ね、最終的に本にまとめてみたらどうだろう、との案が出たのがどのようないきさつからであったのか、今では判然としていません。しかし、最初の対談のおり、「ではそろそ...