渋沢栄一の『論語と算盤』に見る「富と地位」についての「創造的論及!」

渋沢栄一の『現代語訳 論語と算盤』は、長久の歴史の中で一般化された「論語解釈」を根底から覆した書として、時代的意義をもつ啓もう書です。

今回のキーワード解説は、『論語と算盤』を取り上げ、異なる価値観だとされるものを渋沢栄一が、どのようなロジックに基づき調和させているのか、紐解いてみましょう。
テーマは「富と地位」です。

「富が追及に値するほどの値打ちを持っているものなら、どんな賤しい仕事についても、それを追求しよう。だが、それほどの値打ちを持たないなら、わたしは自分の好きな道を進みたい」…この孔子の言葉を渋沢栄一は次のように論及します。

これも一般的には、富や地位を軽蔑した言葉のように解釈されている。しかしいま、まともにこれを読み取るなら、この言葉のなかに富や地位を軽蔑したような内容は一つも見当たらない。
「富が求める値打ちを持っているなら、どんな賤しい仕事にもつく」というのは、正しい道や道徳によって、富が得られるなら、という意味である。
つまり「正しい道を踏んで」という一句が、この言葉の裏面にあることに注意しなければならない。そして後半部分は、
「正当な方法で富が得られないのであれば、いつまでも富に恋々としていることはない。気に入らないことをして富を手にするより、むしろ貧賤に甘んじてまっとうな生き方をした方がよい」との意味なのだ。まっとうな生き方に合わない富は見切った方がよいが、好んで貧賤にいた方がよいなどと言っていないのだ。
いま、この一節を簡単にまとめると、
「まっとうな生き方によって得られるならば、どんな賤しい仕事についても金儲けせよ。しかし、まっとうでない手段をとるくらいなら、むしろ貧賤でいなさい」
ということになる。やはりこの言葉の一方の側面には、「正しい方法」ということが潜んでいることを、忘れてはならない。

いかがでしょうか。「正しい道を踏んで」「正しい方法」というワードが潜んでいる、と渋沢栄一は解釈し、そこから「まとめ」を導き出します。
つまり孔子の言葉は「隠喩」であり、渋沢栄一による創造的論及は、「孔子は、富を得るためには、賤しい仕事さえ軽蔑しなかった」なのです。

渋沢栄一は、「おそらく世の中の学者先生は、目を丸くして驚くかもしれない。しかし事実はどこまでも事実である」と、絶対的な自信を持って「富と地位」を肯定します。ネガだとされたものがポジに転換しました。
そこには、「正しい道」「正しい方法」という言葉の存在を強く訴えるという、渋沢栄一の真骨頂が見出せるのです。


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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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