どうしてもいやな声、聴きたくない声というものがある。顔を顰めたくなるくらい不快でどうしても受けつけない声のこともあれば、それにふれるだけでも身も凍りついてしまうほど怖い声のこともある。どういう話、どういう命令かは別として、聴く以前にその声にふれることじたいを忌避したくなる声である。
今回より『臨床とことば』第4章8番目の見出し、<生存の、「心」よりももっと古い生地>を取り上げます。そのスタートを引用してみました。「あるある」ですが、このあと鷲田さんは、反対の「その声に包まれたいと、ただもうそれだけを切に願うような声もある」と、続けます。同じ声であっても、真逆な感情を覚えてしまう、というのも人の常ですね。
鷲田さんの一人語りである第4章は、そのいずれもが、一見「?」の見出しが付されています。「さて、その意味するところは……」と、読者は期待を抱き、その解明に向かってページを繰ります。
冒頭の引用に「命令かは別として」という表現がありますが、見出しに「古い生地」とあるように、食うか食われるかという「動物同士の関係」に敷衍し、「命令」の根源的な意味について、エリアス・カネッティの言葉に想いを馳せます。
命令というのは、その原始の形態においては、一方が他方を脅かすというかたちで二匹の異種動物のあいだで起こる。そのとき逃走は「死刑判決に対する、最後の、そして唯一の控訴」である。「もっとも古い命令…そして人類が誕生するはるか以前に下された命令」は死刑判決であり、そのために犠牲者はやむをえず逃走するのだ。
鷲田さんは、「人間が下す命令においては、こうした死への怯えは消えているようにも見える」と言いつつ、その「根源」に迫ります。
一方が食糧を与え、他方がそれを受け取る、つまり主人が奴隷を、母親が子どもを「養う」というつながりが死の緊迫を覆い隠すのだが、一方が他方の命を握っているという事実に変わりはない。そのかぎりで、「死刑判決の残酷さ」がそこには沈殿している。それらがちらっとでも顔をのぞかせたとき、ひとは「傷つく」。
冒頭に引用に目を転じてください。「身も凍りついてしまうほど怖い声」は、言葉としての「命令」ではないかもしれませんが、カネッティが指摘したメタファーとしての「死刑判決の残酷さ」が覆い隠されることなく、伝わってしまった「声」なのかもしれません。
ただ、鷲田さんは、そのような怒気を含んだ「わかりやすい声」だけでなく、「死刑判決の残酷さ」は沈殿している、と捉えます。
善かれと思って「かけた言葉」であっても「穏やかな命令」は潜んでおり、日常の様々なシーンで、ひとは「傷ついている」とも。
3ページで綴られた<生存の、「心」よりももっと古い生地>は、最後の1行に登場します。謎をかけるように……
きっと「心」よりももっと古い生地……。しかし、誰の?
この謎の言葉について、次回も取り上げてみようと思います。
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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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