前話で、『大人の友情』の10番目のテーマ「茶呑み友だち」を終えるつもりで、最後を〆ています。同書は12のテーマを設け、それぞれ4話のエッセイを配する(2つのテーマのみ3話)、という構成です。
この「茶呑み友だち」も、4話目として「断念の構図」というエッセイが存在します。ただし内容は、他のエッセイと趣が大きく異なり、難解です。普段は抑制している河合さんですが、感動のあまり、リミッターが外れてしまい、「知性ほとばしる書評家」としての“別の河合さん”が現れてしまっているカンジです。つまり、スピンオフしているのですね。
「コーチング大百科」は、コーチングを語るのが目的です。当該エッセイもコーチングにつながる糸口が見いだせるのでは… といろいろ思案してみたものの、なかなか輪郭を帯びてくれません。ということで「断念の構図」を紹介するのは“断念”しようと、筆者は一旦判断したのですが…
前置きが長くなってしまいました。
どうも河合さんの感動が私にも伝播したようです。河合さんは『田辺元・野上弥生子往復書簡集』(岩波書店)を読んで、“大人”として並び立つ二人の「激しくも抑制した恋愛」に、心を打たれます。その“深い感動”を、私たち読み手にどうしても伝えたくなって、筆を執ったことが推察されます。
筆者はどこまで河合さんの「想い」を伝えることが出来るか… 自信はないのですが、紹介してみようと思います。
中高年者の関係だからいつも「茶呑み友だち」であるとは言えない。哲学書の田辺元と作家の野上弥生子は、その晩年に北軽井沢でつきあいはじめ、それは恋愛と呼ばれるものへと変化して行った。最初は野上弥生子が田辺元夫人と親しかったのだが、弥生子が夫を亡くし、田辺が妻を亡くした後に、二人はつきあいをはじめ、共に六十六歳であった。その後、田辺が七十七歳で死亡するまで、二人の関係は続くが、それを「恋愛」と呼ぶのは、二人の往復書簡が死後出版され、それを読んでそのように感じるからである。
河合さんの“書評”は、こうしてスタートしました。
二人の書簡は極めて折り目正しい文と形式で書かれている。宛名も、「野上夫人玉案下」とされ、「田辺元」の署名で出されている。これに対して、野上弥生子の方は「田辺先生 おんもと」とされ、「野上やへ」の署名である。……
河合さんは、普段の諧謔性を完全に消し去り、居ずまいを正し、二人に寄り添います。かなり難解な説明が重ねられます。
Wikipediaに「65歳から約10年間続いたその往復書簡300通余りが岩波書店から刊行されている」とあるように、その膨大な手紙を丁寧に追っていく河合さんは、二人の関係が“変化”したことに気づきます。
このような手紙が続くのだが、1953年5月の弥生子から手紙の署名は、「やへ」に変わる。そして田辺の方も遅ればせながら、7月には「元」と署名する。手紙の折り目正しい文体は変わらないが、これは大きい変化である。二人の間の気持ちが相当に変化してきたことを示している。
そのうちに手紙に重要な変化が生じる。田辺の同年9月19日の手紙に、彼の短歌が別紙に書かれて同封されていた。妻の三回忌に際して妻を想う八首である。生きかへれ生きかへれ妻よ生きかへれ
汝れなくて我いかで生きられん汝れもわが心によみがへり共に生く
二人の命なほも続くかこんなのを読むと、田辺の亡妻に対する想いの深さを感じると共に、彼が意識的、無意識的に弥生子への愛を告げているように思えるのである。
ここから河合さんは、日本の独自文化である「和歌」についての考察を開始します。「相聞歌」に変化していった二人の関係を洞察し、長く深い語りが続くのですが、その一部を引用します。
それにしても、日本に「和歌」という伝統があったのは、この二人にとってほんとうに幸いだったと言えるだろう。手紙の内容は礼儀にかない、「奥様」と「先生」とのつきあいであることを守りつつ、和歌では手紙文にはもりこめない自分の感情を歌うことができる。とは言っても、それはあくまで和歌という形式によって守られていて、感情の逸脱を防ぐことができるのだ。果せるかな、田辺元より次の手紙には九首の歌が書かれ、これには、彼自身も「直接奥様に宛て心中を陳(の)べましたもの」と書いている。すべて引用したいほどだが二首だけにする。……
河合さんは当該エッセイのタイトルを「断念の構図」としました。二人の関係性に迫っていく筆致に、河合さんご自身の体験が匂い立つのを、筆者は感じています。
「和歌という形式によって守られて…」の言葉は、プロのカウンセラーに(もちろんプロコーチにも)求められる、強い心で乗り越えていかねばならない「逆転移の回避(筆者付記参照)」を想起しながら、河合さんは綴っているのかもしれません…
今回の解説は、いつもの紙幅を超えてしまいましたが、最後のパラグラフを引用することで、河合さんの“スピンオフ”作品の紹介を終えることにします。
二人の書簡を追ってゆく紙幅はもうない。ただ全体を通じてみられる彼らの深い思慮と抑制が、この恋を爆発する強さよりも、永続する深く輝く関係へと導いていったことに心を打たれるのである。夫婦であれ、恋人であれ、それが永続するためには友情を支えとするものであるし、その背後に何らかの断念の構図があると思う。
筆者付記 : 「治療者の分別(Wikipediaより)」
倫理というよりも、精神分析という行為を成り立たせる要件の一つとして、フロイトは治療関係における治療者の分別(独: arztliche Diskretion)を説いた。治療者の中立性、治療契約の順守、治療内の秘密の厳守、患者を私的な願望や要求の対象にしないこと、患者も治療者も一定の禁欲を互いに守ること(禁欲規則)、患者の自発性と訴えの真実性を最優先すべく治療者の受け身性(英: Passivity)を維持すること、などがその内容である。
これに対しては、「治療者も一人間なのだから難しい」「科学的でない」といった反論が、フロイトの弟子のあいだからも続出した。一方では、たとえば治療技法を用いれば、治療者の解釈を患者が受け容れない場合、「それは治療抵抗だ」「否認だ」だということによって患者の思想や人生をも操作・支配できることになるので、この概念は重要な臨床上の指標として機能するものである。
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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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