「臨床」に「学」ということばが近づくと俯き、凄みのある表情をされた。

ことばが途切れるそのときというのは、二様であった。
あるときは、なにか獲物を見つけたような面持ちで会話からすっと遠ざかり、頭の中を高速回転させておられるような様子だった。未知のアイデアを、わたしなどにはとても追いつけないような速度で追いかけられておられる、あるいはたぐり寄せておられる、そんな気配に圧倒された。

前回(と前々回の後半)は、村上春樹さんが河合さんに初めて会った時のエピソードを取り上げてみました。今回は、『臨床とことば』に戻って、鷲田さんの「言葉」を読み込んでみようと思います。

冒頭の引用は、『臨床とことば』の「文庫版あとがき」にある一節です。前々回取りあげた鷲田さんの次の言葉の続きです。

……話がある主題にさしかかると、ふとことばが途切れ、先生がその場から消えてしまわれ、ひとり置いてきぼりをくった思いにとらわれて、呆然とした。

臨床心理学者で実践家の河合さんは、多くのカウンセリングを実施されています。その際、鷲田さんが感じたような「ひとり置いてきぼりをくった思い」をクライアントに感じさせることは「絶対ない」、と断言できます。カウンセリングのセッションで、河合さんは徹底的にクライアントに寄り添っていますから。ではなぜ河合さんは、何故「そうなったのか…?」

ここからは筆者の解釈ですが、日本哲学界のオーソリティーである鷲田さんの「魂の言葉」に触れ、そのことを「吸収したい」という河合さんの強い目的意識が、鷲田さんを前にして、「そのような態度」として顕れたのだと感じています。『臨床とことば』は、河合さんにとっての「学びの場」でした。
同時に鷲田さんにとっても、「以前に妄想していた“怪物”というイメージが、かき消されるどころかいっそう生々しいものとなった」と言葉にされるように、この対話は、強烈な体験を伴う「学びの場」でした。河合さんという「巨人」の肩に自分が乗せられている…ことを実感されたのではないでしょうか。

冒頭の引用の「ことばが途切れるそのときというのは、二様であった」、と鷲田さんが捉える、もう一つの様相を引用して、次回につなげることにします。

別のあるときも、それまでの丁々発止が嘘のように、突然黙り込まれた。「臨床」ということばに「学」ということばが近づいてきたときだ。この二つのあいだの関係が話題になると、先生はいつも俯き、そして凄みのある表情をされた。あたりの空気が氷結するかのようにおもわれた。固まりかけた空気をほぐすにこやかな名人が、一瞬、戦争の前線で自分の塹壕に立て籠られたかのようだった。


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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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