「羨ましい」という感情は一種の方向指示盤としての役割をもっている
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の48番目のタイトルは、「羨ましかったら何かやってみる」です。 河合さんの55ほど集めたこのエッセイ集は、基本的にすべて「クライマックス法」の流れです。最後に私たちの心にス...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の48番目のタイトルは、「羨ましかったら何かやってみる」です。 河合さんの55ほど集めたこのエッセイ集は、基本的にすべて「クライマックス法」の流れです。最後に私たちの心にス...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の47番目のタイトルは、「2つの目で見ると奥行きがわかる」です。 動物に「二つの目」が備わっているのは、神様の配剤かもしれません。生理学的にも意味をもっています。河合さんは...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の46番目のタイトルは、「権力の座は孤独を要求する」です。 このエッセイは、次の言葉から始まります。 前回は権力と権威のことについて述べ、特に内的権威の意味の方に焦点を当て...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の45番目のタイトルは、「権力を棄てることによって内的権威が磨かれる」です。 前回の解説でも、以前アップした内容を振り返っていますが、今回は、「日本的民主主義の功罪について...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の44番目のタイトルは、「物が豊かになると子育てが難しくなる」です。 このエッセイ集は、1992年の発刊です。バブル経済崩壊の足音がヒタヒタと迫ってはいましたが、バブル経済...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の43番目のタイトルは、「家族関係の仕事は大事業である」です。 河合さんは、あえて「家族関係」を“仕事”と捉え、かつ、それは「大事業」であると指摘します。このタイトルを見て...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の42番目のタイトルは、「日本的民主主義は創造の芽をつみやすい」です。 42番目のコラムタイトルは、これまでとは少し異なりますね。冒頭で、「そもそも民主主義とは何かなどとい...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の41番目のタイトルは、「危険の際には生地が出てくる」です。 河合さんは、最初のページの最後に「しかし、自分の欠点は努力によっても、相当にカバーできるように思われる」と記し...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の40番目のタイトルは、「道草によってこそ“道”の味がわかる」です。河合さんが子どもの頃を振り返り、ノスタルジアが伝わってくるような書き出しで、このエッセイはスタートします...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の39番目のタイトルは、「『昔はよかった』とは進歩についてゆけぬ人の言葉である」です。 河合さんは冒頭で、三千年前から、人間は「昔はよかった」という言葉が好きであったことを...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の38番目のタイトルは、「心の支えがたましいの重荷になる」です。 最初の1ページで、それまでは仕事こそ「私の生き甲斐」と言っていた、仕事をするのが面白くてたまらなかった中年...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の37番目のタイトルは、「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」です。 河合さんは、このエッセイのスタートで、子どものいる老齢の夫婦が、子どもから相手にされなくなり、こ...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の36番目のタイトルは、「勇気にもハードとソフトがある」です。 わかりやすい勇気のハード面に対して、ソフトの勇気を紐解こうとする河合さんの思いは、エッセイの中間あたりで語ら...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の35番目のタイトルは、「強い者だけが感謝することができる」です。 このエッセイの冒頭1ページで、カウンセリングや相談などを職業としている人たちを指導している河合さんが、そ...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の34番目のタイトルは、「どっぷりつかったものがほんとうに離れられる」です。 河合さんの当該エッセイ集は、55のエッセイで構成されます。この本は1992年に発刊されています...