人間は「一心同体的」にはなれるが、いつも「一心同体」にはなれない
河合隼雄さんの『大人の友情』の7話目は、「友人間の距離」です。このエッセイは、河合さんの思いが強く出ている印象です。他の「話」と比べてページ数も多く、1992年刊の『こころの処方箋』で登場した「青山二郎」のことが、より詳...
河合隼雄さんの『大人の友情』の7話目は、「友人間の距離」です。このエッセイは、河合さんの思いが強く出ている印象です。他の「話」と比べてページ数も多く、1992年刊の『こころの処方箋』で登場した「青山二郎」のことが、より詳...
河合隼雄さんの『大人の友情』の6話目は、「認めてくれる」です。CBLコーチング情報局は。コーチングを語ることですから、このタイトルから「承認」という言葉をすぐにイメージしました。河合さんは臨床心理学者であり、カウンセラー...
河合隼雄さんの『大人の友情』の5話目から、12の大きなカテゴリーで構成された2番目の「友情を支えるもの」に移行します。その5話目のタイトルは「賢い人には友がいない」です。その話題に入る前に、河合さんは次のような「前フリ」...
河合隼雄さんの『大人の友情』の4話目は「これからはボクが友人に」です。この最晩年のエッセイ(70代半ば)は、河合さんが昔を振り返り、その時、高まった感性が、今訪れているかのような語りで、人生の来し方が綴られています。前回...
河合隼雄さんの『大人の友情』の3話目は「類は友を呼ぶ」です。前回のタイトルは「馬が合う、虫が好かない」でした。ただ、エッセイの内容は、「虫」から始まり「虫」で終わっており、「馬」は最初だけの登場でした。この3話目は、それ...
前回から引用をはじめた、河合隼雄さんの『大人の友情』の2話目は「馬が合う、虫が好かない」です。河合さんは冒頭で、「主語は“馬”、“虫”と人間でないものになっているところである」と、コメントし、「類似の表現が外国にあるかど...
前回まで、55のエッセイを集めた『こころの処方箋』について、一つずつ取り上げ、コーチングに敷衍してきましたが、それが終了したところで、今回から、同じく河合隼雄さんの著作である『大人の友情(朝日文庫)』を取り上げてみようと...
河合隼雄さんの『こころの処方箋』を引用して、コーチングを語ることを続けてきて、その最後を前回の、「創造の種子」が発芽し、伸びてできあがった「創造の作品」は、その人の人生そのものなのである! で終える予定でしたが、今回、も...
55のエッセイを集めた『こころの処方箋』の55番目のタイトルは「すべての人が創造性をもっている」です。この最後のエッセイは、「コーチングの哲学」をも感じとることができる珠玉のエッセイです。「心理療法の仕事をしているために...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の54番目のタイトルは、「“幸福”になるためには断念が必要である」です。 このエッセイ集は全部で55ほど集められていますので、この回を含めて、あと2回となりました。あらかじ...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の53番目のタイトルは、「“知る”ことによって二次災害を避ける」です。 このエッセイ集は、1992年の発刊ということもあって、タイトルにある「災害」は「雲仙普賢岳の大火砕流...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の52番目のタイトルは、「精神的なものが精神を覆い隠す」です。 河合さんは、1ページ目の最後あたりで「高校野球」を取り巻く象徴的な条件について、明確な批判の眼差しでコメント...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の51番目のタイトルは、「裏切りによってしか距離がとれないときがある」です。 今回のエッセイタイトルは、なかなかシビアですね。当該エッセイは、前回の内容を引き継いでいるよう...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の50番目のタイトルは、「のぼせが終わるところに関係が始まる」です。 この趣深いタイトルに接すると、「果たしてどのような内容なのか?」と興味がそそられますね。「ある若い女性...
河合隼雄さんのエッセイ集である『こころの処方箋』の49番目のタイトルは、「心配も苦しみも楽しみのうち」です。 河合さんは、1ページ目の終わりから2ページ目にかけて、タイトルの意味するところを次のように概説します。 「心配...