研究と哲学とは違う。哲学の原点に帰れと問題提起した。まず、学者が頭の中で考え出すものではない。介護や教育の現場に行き、人びとが生きる上で何を大切にしてきたのか、その哲学をくみ取ることが必要だ。
(日本経済新聞11月6日31面「期待高まる哲学 どう生かす~哲学者・大阪大学名誉教授 鷲田清一氏」より引用)
日経新聞に掲載された鷲田清一さんへのインタビューに啓発を受けています。
哲学を語る鷲田さんの、「人びとが生きる上で何を大切にしてきたのか、その哲学をくみ取ることが大切だ」、という箇所に目が留まりました。吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』の中にある個所が想起されたからです。急ぎ同書を開きました。55ページ~にある記述です。
仏教について何も考えず、学問や知識もなく、子どもを産み、老いて死んでいくごく普通の人たちが考えていることを、自分も考えたか、考えないか、それを自分の仏教の教え、思想の中に繰り入れることができたか、できなかったかという点が、法然、あるいは親鸞と、当時の優れた坊さんとの決定的な差異なのです。(中略)
もちろん僧侶が状況にかかわりなく修行に精進することは、悪いことではありません。ただ状況の生々しい現実的なうねりが、じぶんの修行を追い越して行ったとき、それに対して何を考えるかが、これらの法然を批判する高僧たちには無かったのです。これは単に資質の違いではなく、器量の違いです。
僧侶というのは、当時では「アカデミズム」を形成する集団です。親鸞もあの時代の最高学府である「比叡山延暦寺」で学び、修行に勤めます。でも……親鸞は山を降りるのです。そこから親鸞は、「自己の全存在」を賭した格闘を開始します。そして、行き着いた「処」は、「非僧非俗」でした。
浄土真宗に限らず仏教も含め、さまざまな教派は「宗教」として区分されます。ところが、「宗教」という漢字二文字は江戸時代までは存在していません。明治になって、西洋文明と密に結びついているキリスト教を理解しようと「宗教」という言葉を作り出し、そこには「一神教の信仰」としての「強いイメージ」が組み込まれるのです。
『今に生きる親鸞』の13ページで、吉本隆明さんは、親鸞の「浄土真宗」を次のように捉えます。
親鸞は真宗の始祖ですが、信仰によって僧侶であったのではなく、理念と思想がたまたま宗教の形をとらざるを得ない時代だったから僧侶であったにすぎません。また、僧侶だったから浄土門の教典を注釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったからから、仏教的であったにすぎません。
思想家である吉本隆明さんの「思想」がうかがえる視点です。
コーチングは今のところ、「アカデミズム」の土俵で語られることはないようです。つまり、「リベラルアーツ」ということですね。リベラルアーツとは、そもそも「philosophy」の原点です。これからも「リベラルアーツ」であるコーチングを語り続けていこうと思います。
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