あっちに行った人もお盆とかによく帰って来るしね。

(小川)
子どもの頃からそういう環境にいたので、金光教の教えというのが、自分の中に否応ないものとしてあります。金光教は、神様と人間の関係を作っていく宗教なんです。そしてその関係はまだ確立されていない。なぜなら、神様のことを「親神様」という言い方をするのですが、要するに神様は親なんです。氏子というのは子供で、親神様と氏子が親子の関係を作っていくことが信心するということ。神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるのを見て、心を痛めている。金光教で一番救われていないのが神様なんですね。ですから信者たちは神様を救うために、信心をするんです。
(河合)
なるほど、いや、すごいですね。
(小川)
キリスト教とかユダヤ教とかの西欧の一神教とは全く違う考え方なんですよね。……

生きるとは、自分の物語をつくること』の13番目の見出しは「“原罪”と“原悲”」です。
上記は、その3ページ目にある引用です。小川洋子さんについてネットを検索していると、「ノートルダム清心女子大学」のサイトに掲載されていた「日本の近代文学と宗教|綾目広治|日文エッセイ93」のなかに、次の記述を見つけました。

小川洋子は金光教の信者ですが、小川洋子はエッセイ「祈りながら書く」で、「金光教を捨て去るのは不可能だと気づいた。わざわざそんなことをする必要などない、という表現の方が適切だろうか」と述べています。「精神を支える背骨としての金光教」ということを語っているのも、宗教は人がこの世で生きていく上での一つの拠り所になってくれるものでいい、と考えているからでしょう。別言すれば、それ以上のものを宗教に求めることはしない、という考え方とも言えましょうか。

これは、綾目広治さんの解釈ですが、河合さんに、小川さんはご自身の内なる「信心」を自然体で言葉にされています。この後で、小川さんは、金光教を「何とも消極的な宗教なんですね」と説明します。そして河合さんが…

(河合)
それでも自分の親を敬わないかんとか、そういう考え方はあるわけですね。
(小川)
ええ、そうですね。そうしないと神様が悲しまれますよね。親を虐待していては。

見出しの「“原罪”と“原悲”」の意味は、ここで明かされます。河合さんは、小川さんの「金光教」の話を受けて、日本のカルチャーに敷衍します。

(河合)
神様の命令じゃなくて、神様を悲しませないように、というところが面白いね。さっきの続きで言うと、キリスト教は「原罪」が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。
(小川)
情緒的というか感情的なんですね。
(河合)
だから僕は、「原罪」に対して「原悲」があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪ではなくて、原悲から出発しているから、と言っているんです。金光教はその最たるものやね。面白いねぇ。

先に引用した綾目さんのエッセイは、カトリック系の「ノートルダム清心女子大学(岡山)」のホームページに掲載されています。筆者はここで、緒方貞子さんのことを想起しました。緒方さんの出身大学はカトリック系の「聖心女子大学(東京)」です。Wikipediaには、次のように記されています。

開校は1916年(大正5年)である。私立聖心女子学院高等専門学校を前身とし、1948年(昭和23年)、新学制により聖心女子大学として発足した。日本最初の女子大学の一つで、初代学長はエリザベス・ブリッドである。

緒方貞子さんのロールモデルは明快に「エリザベス・ブリット」です。コーチングは「異質の調和」を生み出す力を有しています。「CBLコーチング情報局」は、緒方貞子さんの「異質の調和」について考察しています。その一部を再掲します

緒方さんのキャリアの中心は、上智大学教授であり、在籍中に国際関係研究所長や外国語学部長などを歴任されています。つまりベースは学者です。ただし、国連難民高等弁務官となった緒方貞子さんは「現場主義の実践家」を貫き、その仕事ぶりに世界は驚嘆します。業績は高く評価され、まさに渋沢栄一の言う「知と実践の統合」を体現した人物でした。

渋沢栄一は、「知と実践の統合」だけでなく、宗教についても「異質の調和」を志向しています。様々つながっていることが実感されますね。

「“原罪”と“原悲”」の最後で、河合さんは「一神教世界と日本の多神教」をメタの視点で取り上げます。最後に引用し、今回の解説を終えることにしましょう。

(河合)
……ところが西欧の宗教では、神と人は明確に違います。姿形でも、人は神に似せて作られているから、人と他の造形物とも明確に違う。だからそこにピシッと線が入る。「私がー花を観察する」とか、「私がー落下する石を観察する」という明確な区別があるから、近代科学が生まれたんですね。「観る」という漢字がありますね。外界を「みる」のも、内界を「みる」のもあの「観」です。「観ずれば」言うたら、自分の胸の中を観てるでしょう。ところが「観る」の英語Observeは「外」だけを「観察」しているんです。そういう態度は、おそらくキリスト教以外からは出てこないんじゃないか。
(小川)
客観性を持つということですね。
(河合)
それが大成功して、キリスト教世界が特に二十世紀の文明をリードした。
(小川)
日本だと熊が神様だったりするわけですものね。動物が神様だったり、塵の中にも仏心があったり。そういう混沌とした状態を、日本人は平気で受け入れることが出来る。
(河合)
そのまま受け入れて、生死の境も薄い。あっちに行った人もお盆とかによく帰ってくるしね。


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This article was written in Japanese and converted into English using a translation tool. We hope you will forgive us for any inadequacies.
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