「般若心経」は「般若波羅密多心経」のショートカット表現です
(中沢)…… 人間の認識が辿りつく到達点ほ「ブラジュニャパーラミーター=般若波羅密多」と、大乗仏教では言いましたが、これを「般若波羅密多母」=「認識のお母さん」と呼んでいます。「空」はこういう女性性をそなえています。その...
(中沢)…… 人間の認識が辿りつく到達点ほ「ブラジュニャパーラミーター=般若波羅密多」と、大乗仏教では言いましたが、これを「般若波羅密多母」=「認識のお母さん」と呼んでいます。「空」はこういう女性性をそなえています。その...
(中沢)ところがある日僕ははたと気がつきました。ある本を読んでいるときに、「これはどこかで見たな、ああ、そうだ、仏教の『律蔵』だ」と思ったことがありました。それは、シベリアの狩人が熊狩りなどのために山に入っていくときに、...
サーリプッタ長老(『般若心経』に登場する舎利子)は、釈尊や自分たちのような直接教えを聞いた弟子たちが滅した後も、その教えが正しく伝わるよう、釈尊に戒律の制定を強く望んだ。戒律こそ、花が風に散らされぬようまとめる糸のような...
(中沢)日本では浄土真宗などが妻帯も肉食も認めてきましたし、戒律を否定するという方向で大部分の仏教徒がやってきました。そのために小乗仏教の戒律の問題は、それほど真剣に取り上げられてこなかったのですが、ブッダの頃もそのあと...
(中沢)きょうは仏教と戒律の話をしようと思います。戒律といえば性の戒律がいちぱん重要なテーマです。でもそれは仏教だけじゃなくて、あらゆる宗教にとっても悩みの種であるし、避けて通れない問題です。 今回より、河合隼雄さんと中...
(中沢)戦わないとだめなんですね。ブッダたちの言い方では、真理は世界と同居できると言っています。「だから泥のなかから咲いたハスのようだ」。実は泥がないとハスは咲かないわけでしょう。ですからこれは持ちつ持たれつで同居してて...
(中沢)1970年代最初に僕がチベット人と会ったときに、彼らの多くはチベット高原をおりてきたばかりでした。いろいろ話をすると大変面白かったですね。キリスト教の話になって、「キリスト教徒というのは可哀相だ。あんな板に打ち付...
(中沢)『旧約聖書』の「出エジプト記」を見ますと、エジプトで長いこと奴隷生活を送っていたイスラエルの人びとが、モーセの指導によってカナンの地へ移動した一回限りの出来事みたいに言っていますけど、どうもいまの聖書学だと、そう...
(河合)先ほどの神様のお話ですが、仏教における神というのがムハンマドとかキリスト教に対する神ではなくて、ゴータマ・ブッダは、いわば自分の存在そのものが真理を悟った者、「ブッダ」になっていくわけでしょう。まったく違いますよ...
(河合)本当ですよ。その高山病体験と悟りの体験がいっしょくたになってしまう。(中沢)エリアーデが『シャーマニズム』という本を書いたときにやはりそのことに触れています。(中略)エリアーデの考え方だと、太古の高度文明ではこれ...
(中沢)その瞑想の練習には呼吸法がいちばん重要な働きをして、呼吸法がどうしても間脳とか脳幹のあたりを活性化させます。古い皮質が煌々と目覚めてくる状態をつくり出す、一つの一ばん確実な道は呼吸法になってくる。大体どの神秘主義...
(中沢)で、「瞑想とは何か」、一言でいうと、大脳皮質系の活動を停止させたときに見えてくるものがあると、そのことに尽きると思います。そのときに何か変化が起こってくる。これを井筒先生は「あらゆる宗教が突き抜けていく先がある」...
(河合)そのときエックハルトとか西洋の神秘思想家たちがやはり瞑想していたということは大事なポイントです。(中沢)大きいと思いますね。(河合)「神に祈っている」のと「瞑想」とはちょっと違って、瞑想の知恵のほうへいくとエック...
(中沢)問題はこの輪廻を脱出したものを「アッラー」と言うかどうか。あるいはユダヤ教で言えば、モーセの眼前に出てきた神は「私には名前がある」と言った。「私には名前がある」、これは精神分析では重大なことなんでしょう?(河合)...
(中沢)…… イスラム教の場合だと、アッラーのほかに神はいないということでしょう。それもたしかにその通りだと思います。アッラーのほかに神はいないと言っているのは、神々はたくさんいるかもしれないけれども、アッラーが神だとす...